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ジャガー(Jaguar) [ジャガー]

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ジャガー(Jaguar/捷豹)は、イギリス発祥の高級自動車ブランド。現在はランドローバーとともに、インドのタタ・モーターズ傘下のジャガー・ランドローバーの一部。

ジャガー・XJ(1968年 - 現在)は、トニー・ブレア前首相の公用車にも選ばれており、また、エリザベス2世女王、エジンバラ公、チャールズ皇太子からワラント(御用達指定)を下賜されている。

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ウイリアム・ライオンズ(1901-1985、後に爵位を授与されサー・ウィリアム・ライオンズとなる)と、ライオンズの10歳年上の友人であるウィリアム・ウォームズレーにより「スワロー・サイドカー・カンパニー」が1922年に設立される。

会社は社名の通りサイドカーの製造で事業を拡大し、1926年には工場を移転して自動車のボディ修理も手がける。ここから自動車のボディ製造(コーチワーク)を手がけるようになり、自動車メーカーへの転身を図ることになる。その上で、まずは自動車全体を一から作るのではなく、コーチビルダーとしてボディ(車体)を手がけることから高級車メーカーへの道を目指した。

1927年に、当時のイギリスにおけるベストセラー大衆車であるオースチン・セブンのシャシーに、ライオンズ自身がデザインした高級感のあるアルミニウム製ボディを換装したモデル「オースチン・セブン・スワロー」を発表した。この車は2人乗りのロードスター(オープンカー)に始まりサルーン(セダン)も追加され、特にサルーンには特別な塗色として量産自動車初の「3トーン」(デュオ・トーン)まで用意された。

ライオンズは、サイドカー製造の経験から、「美しい物は売れる」という思想を持っており、元の車両より値段が高くなっても、デザインが美しければそれを求める顧客は必ず存在すると考えていた。その狙いは的中し、オースチン・セブン・スワローは1932年までに約2500台を生産するヒット車種になった(うち3分の2がサルーン)。

会社は1928年に社名を「スワロー・コーチビルディング・カンパニー」と変更すると共にコヴェントリーへ移転し、複数のメーカーからベースとなる車種を調達して新たなボディを架装、また内装も本革やファブリックを使い豪華に仕立て直すようになった。

さらに1933年には、専用設計のシャシーを持つ「SS 1」と「SS 2」を発売しヒットさせ、「SSカーズ・リミテッド」と社名を変更した。1935年には、ボディだけでなくエンジンとシャシーを含む全てを自社設計としたモデルを開発することに成功した。この新型車には今までと区別する意味から「ジャガー」をいう車名を新たに付け、「SSジャガー 2 1/2」として発表した。

このモデルは、同じイギリスの高級車で上のクラスに属するベントレーに似た豪華なデザインと、それに劣らない高性能を遙かに安い価格で実現しており、高い人気を得た。この頃から、高級車製造を事業の中核としていった。上位メーカーに劣らない内外装デザインや性能を、相対的に安価で顧客に提供するというこの手法は、現在まで続くジャガー社の基本戦略の1つである。

弱冠21歳でサイドカー製造メーカーを設立したライオンズは、わずか13年で会社を著名な高級車メーカーへと発展させることに成功した。なお相方のウォームズレーは、事業の拡大に反対し「SSカーズ・リミテッド」への社名変更直前に会社経営から脱退している。

1939年9月に勃発した第二次世界大戦時には、戦時体制下において乗用車の生産は縮小せざるを得なかったが、軍用車両の委託生産などを行うことで糊口をしのいだ。

第二次世界大戦後の1945年に、敵国であったナチスドイツの組織である親衛隊を連想させることから、社名の「SS」を「ジャガーカーズ・リミテッド」に変更した。その後1948年に発表されたXK120はその流麗なスタイリングと高性能、また同程度の性能を持つアストンマーチンやベントレーと比べて圧倒的に安価だったことから大人気となり、高級車ブランドとしてのイメージを決定付ける重要なモデルとなった。

さらに1950年代には、自動車史上初めての4輪ディスクブレーキを備えたCタイプとDタイプを投入しフェラーリやメルセデスベンツ、ポルシェなどのライバルを圧倒。ル・マン24時間レースで5回の優勝を飾るなど、モータースポーツで大活躍し名声を確固たるものにしていった。

さらに、1950年代に投入されたEタイプや、スモールサルーンであるマーク2(Mk2)などの人気により、世界最大の自動車市場であるアメリカ合衆国での販売で成功を収めたことや、1960年に高級車メーカーのデイムラーを買収したことで企業体制も磐石なものになった。

その後は順調な経営を続けたものの、1966年7月に、イギリス最大の民族資本系グループである「ブリティッシュ・モーター・コーポレーション」(BMC)との合併を行い、「ブリティッシュ・モーター・ホールディングス」(BMH)を結成した。この突然の決定は、企業体制をさらに強固にするためのライオンズ自身による意思であるとされている。

しかし、1968年にはBMH主要モデルの販売不振から、BMH自体が経営不振に陥ることになる。事態を重く見たイギリス政府は、もう一つの民族資本系グループである「レイランド・モーター・カンパニー」との統合を決め、「ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーション(BLMC)」として参集させた。

そんな背景のなか、ジャガーは同年1968年にスモールサルーンの後継モデルとなるXJを投入した。しかし、本来は高級車メーカーであるはずのジャガーは、作業員のレベル自体がBLMCの平均に合わされることになり、品質の低下を招き販売台数も大幅に減少した。また、古参社員の引退が相次ぎ、ライオンズも1972年に経営の座から退いた。

加えてオイルショックの影響も受け、世界的に自動車の販売自体が激減する。倒産寸前になったBMLCは、遂に1975年8月に国営化され、ブリティッシュ・レイランド(BL)となる。傘下のジャガーは、「冬の時代」を歩み続けることになる。

1979年、ジャガーは新たな経営トップとして社外からジョン・イーガンを招いた。彼は乱れた生産体制や経営の改革に着手し、作業員の意欲向上、日本企業並みの品質管理(QC運動)による生産品質改善、販売手法の刷新と顧客からのフィードバック反映、そして経営のリストラを推し進め成功した。

そしてその後1984年に、保守党のマーガレット・サッチャー首相による民営化政策によって、ジャガーは再び民営化された。

抜本的な体質改善を行なったジャガーはさらに、1986年に完全な新設計となるXJ(XJ40)をデビューさせ、「低品質」との悪評を打破することに成功した(なお、この車は、1985年に死去したライオンズが最期に確認し承認したデザインそのものといわれている)。1975年にEタイプの後継として投入されていたXJSも、マイナーチェンジを重ねて信頼性の向上に努めた他、1980年代後半にコンバーチブルモデルを追加し、アメリカ市場を中心に人気車種となった。

また、1985年からは世界耐久選手権(WEC)に参戦し、1986年にはXJR-8でシリーズチャンピオンを獲得、さらに1988年には、XJR-9LMでル・マン24時間レースに31年ぶりに優勝し、かつての名声を取り戻すことに成功した。

その後1989年に、ブランドイメージを高く評価したフォードグループが、25億アメリカドルでジャガーを買収し、フォードの傘下に入ることとなる。その後ジャガーは、同時期に買収されたランドローバーやボルボなどとともに、フォードグループの高級車部門「プレミアム・オートモーティブ・グループ (PAG)」の一翼を担うこととなった。

フォード傘下に入った後には、リンカーンやフォードとのコンポーネントやパーツの共用を進め、かつての人気車種の名前を使ったミドルクラス・サルーンのSタイプや、初の小型車であるXタイプを市場に投入するなど、かつてない勢いでモデルレンジを拡大した。また、2000年からはジャガー・レーシングの名でフォーミュラ1に参戦した。

しかし、2000年代の後半に入り、フォードグループは経営不振からPAGブランドの各社を手放さざるを得なくなり、インドのタタ・モーターズとジャガーおよびランドローバーの売却について交渉を進めた。最終的に、2008年3月26日にジャガーおよびランドローバーはタタに約23億ドルで買収された。

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