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ランボルギーニ・ミウラ [ランボルギーニ/ミウラ] - EXCAR

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ランボルギーニ・ミウラ [ランボルギーニ/ミウラ]

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ランボルギーニ・ミウラ(Lamborghini Miura/蓝宝坚尼・Miura)は、1966年3月ジュネーヴ・モーターショーで発表された。車名は伝説の闘牛牧場ミウラの名にちなんで命名された。ミウラのドアを全開にし、前から見た姿は正に大きく立った角をもつ闘牛のようである。

ミウラは、ベルトーネによる流れるようなスタイルの2シータークーペでV型12気筒を横置きミッドシップに積み、発表時のプレス向け主要諸元によれば350馬力のノルマーレ仕様でもわずか980kgの車体を最高速度300km/hまで引っ張るとされた(実測データはミウラSで278km/hというデータが残っている)。 当時12気筒の大排気量をミッドシップに積んだクルマは前例がなかった。のちに各メーカーとも類似ののスーパーGTを登場させた。

ミウラは1965年のトリノ・オートショー(11月)で発表され、期待のかかった4L V12をミッドに載せたベアシャーシTP400に1966年3月のジュネーブショーでボディを架装し発表されるや、当時ベルトーネに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニによるその流麗なスタイリングが注目の的となり100を越すオーダーが殺到した。1967年から生産体制を一応は整えたが、その時点ではまだリアヘビーによるハンドリングの欠点、パワートレーン系が出す盛大なノイズ、冷却性能、などいくつもの問題が解決しておらず、たくさんのバックオーダーを抱えたランボルギーニはしかたなく生産を続けながら改良を加え、最終的にはリアサスペンションほかに大きな改良がされたSVと呼ばれるモデルが製造された。

当時ミッドシップスポーツはいくつかが市販されていたが、ミウラのような大排気量で横置きのものは初めてで開発は難航した。シャーシ設計およびミウラの開発プロジェクトの発案者はジャンパオロ・ダラーラ。ジョット・ビッザリーニ設計のランボルギーニ・1号エンジンをベースにミウラ用に改良したのはパオロ・スタンツァーニ。シャーシの製造はランボルギーニ1号車(350GTV)からその製作を請け負っていたマルケージ社。ボディの設計とデザインはカロッツェリア・ベルトーネで、当時あたり前のようにミウラはジョルジェット・ジウジアーロの作品であると出版物に書かれたが、実際の原案スケッチから始まる一連の作業はすべてマルチェロ・ガンディーニであった。長年にわたり、ミウラのデザインはジウジアーロかガンディーニかで「ミウラ論争」が繰り広げられて来たが、ジウジアーロがベルトーネ在籍時にデザインしたカングーロやテスチュード、さらに1964年にジウジアーロがISOを想定して書いた架空のミッドシップカーGRIFO A3/Cの正面図と側面図から、前任ジウジアーロのデザイン要素を抽出し、ベルトーネの伝統的なテイストを保持することをガンディーニが放棄しなかったこと。また、流行のボディスタイルが流線型からウェッジ・シェイプへと移る過渡期であったことと、ベルトーネ・チーフスタイリストの交代劇が重なったということから生まれた誤解であった。

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