EXCAR

日産・フェアレディ 240Z [日産/フェアレディ 240Z] - EXCAR

EXCAR > Car > 日産 > フェアレディ 240Z

日産・フェアレディ 240Z [日産/フェアレディ 240Z]

Car日産

印刷に適した表示 単語検索 最新ページのRSS
日産・フェアレディ 240Z(Datsun 240Z/达特桑・240Z), Fairlady_240Z.jpg

日産・フェアレディ 240Z (S30型系)(Datsun 240Z/达特桑・240Z)は、1969年、アメリカとイギリスで「ダットサン・240Z」(ダッツン・240Z)(HLS30 / HS30型)として発売された。 1971年、それまで輸出専用であったL24型エンジン(2.4 L)を搭載した「フェアレディ 240Z」「フェアレディ 240Z-L」「フェアレディ 240Z-G」を日本国内でも追加発売。エクステリアは2LのフェアレディZに準じているが、横桟のグリルやヘッドランプカバー、黒塗りのワイパーアーム、ホイールキャップなどは専用デザインとなっている。 廉価モデルである240Zは、ヘッドランプカバーやオーディオ、リクライニングシートなどを省いたモデルで、240Z-Lは快適装備を充実させたモデルである。 日本専用モデルとしてリリースされた240Z-Gには「グランドノーズ」(後年の通称“Gノーズ”)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツと、175HR14サイズのラジアルタイヤをクリアするため4輪にリベット留めのFRP製オーバーフェンダーが装着された。

240Zシリーズが搭載するエンジンは、L20型エンジンのボアを83.0mmに拡大した2393ccのL24型直列6気筒SOHC。世界をターゲットにしたL24型エンジンは、排出ガス規制を意識してレギュラーガソリンが指定された。しかし、L20型より大口径の46φSUツインキャブを装着し、マニホールドの最適化や冷却ファンのサイズアップなどが施されている。 最高出力は150ps/5600rpm 、最大トルクは21.0kg-m/4800rpm。ミッションは5速マニュアルと3速ATがあった。 その実力は2リッターエンジンを積むZを大きく上回り、5速MT車の最高速は 205km/h、3速AT車は 200km/h。 ノーズ先端に 180mm長いGノーズとヘッドランプ・カバーを装着して空力性能を向上させた240Z-Gは210km/hと、Z432を凌ぐスピードをマークした。

スポーツカーは一部のクルマ好きには受け入れられるが、特に量産車としては大きなマーケットに受け入れられるものではないという常識がある。だが、フェアレディZはそんな常識を打ち破り、収益面でも成功した数少ない量産スポーツカーである。当初、国内向けのエンジンラインナップは、2リッター直6のL20と、GT-Rにも搭載されていた高性能版のS20が用意されていた。その後、北米で販売されていたトルクフルな2.4リッター直6エンジンもラインナップに加わる。 これが「240Z」と呼ばれ、Zファミリーの高性能版として君臨。さらにGノーズとオーバーフェンダーを装着した「240Z-G」は、当時の若者の憧れの的だった。

ダッツン・240Zは発表と同時に想像を上回る大ヒットを記録。ディーラーは大量のバックオーダーを抱え、生産がまったく追いつかなかった。これはBRE(ブロック・レーシング・エンタープライゼス)のレース活動にも影響を及ぼした。日産USA社長の片山豊は、240Zを1970年のSCCAプロダクションCクラスに投入しようとするが、BREにベース車両の240Zを送るのが遅れに遅れ、本来ならば1969年の秋には届いてなければならないはずが、1970年の1月の便にようやく1台だけ紛れ込ませる事が出来た。すでにシーズン開幕同時の投入は不可能と判断したピート・ブロックは70年のシーズン前半戦を新開発のU20エンジンでパワーアップしたSRL311ロードスターで戦いBRE240Zを開発する時間を稼いだ。一方でBREよりも2ヶ月早く240Zを手に入れていたボブ・シャープは、先にNo.33 BSR(ボブ・シャープ・レーシング)240Zを投入していた。このBSR240Zの速さは圧倒的だったが、240Zの弱点である高速走行時のエンジン異常振動を克服出来ていなかった。BREも同じくエンジン異常振動に直面したが、クランクシャフトを変更する事により問題を克服した。そしてシーズン後半に投入されたジョン・モートンのNo.46 BRE240Zはライバルを絶望させる程のパワーを見せつけた。幾つかの弱点もあったがジョン・モートンがエースドライバーの腕でカバー。あらゆる回転域で強力な性能を持ったL24エンジンは、コーナーでもストレートでも強かった。最終的にはNo.46 BRE240Zは1970年のチャンピオンを獲得しロードアトランタで行われるチャンピオンシリーズARRC(アメリカン・ロードレース・オブ・チャンピオン)においてもBSR240Zを破り全米チャンピオンに輝いた。翌71年になるとレース界隈では本格的なZカーブームが到来。BRE240Zを多数のプライベーター240Zとポルシェが追うという構図となったが、さすがに240Zにかけては一日の長があるBREは、プライベーターがやりがちな無謀なエンジンチューンを避け、慎重にバランスを取り、無理の無いスペックでレースに臨んだ。こうして71年のシリーズもBREが制覇し、ARRCも制覇。堂々の二連覇を果たした。当時まだスポーツカーの世界ではまったくの無名だった『ダッツン』と言う会社のクルマが、ファクトリーサポートまで受けたポルシェを一度ならず二度、三度と打ち破ったのだ。これは240Zという優れた素材と、カーレースを知り尽くした男ピート・ブロック、そしてBREが合わさった事によって生まれた快挙であった。

ラリー 最初に240Zが国際ラリーの舞台に姿を現したのは、71年のモンテカルロラリー。日産は、65年に410ブルーバードでこのラリーに参戦して以来、ほぼ毎年のように参戦している。68年と69年はフェアレディ 2000で参戦。翌70年は、後継車であるフェアレディ 240Zが発売直後のため、ホモロゲーション取得が間に合わず不参加。翌71年に、約1年の熟成期間を経て3台の240Zがデビュー。総合5位を獲得し世界的にも注目を浴びた。この時のエンジン排気量はノーマルと同じ2393cc。これにソレックス44PHHを3連装し200馬力を発生させていた。

1972年のモンテカルロでは、さらにエンジンのチューニングを進め、排気量は同じながら220馬力を発生させている。雪のモンテカルロではFRレイアウトのマシンは不利と囁かれる中、見事にアルトーネン/トッド組の240Zが3位に入るという快挙を成し遂げた。この時のナビゲーターを務めたトッドとは、現在のフェラーリF1チーム監督のジャン・トッドだ。

1973年、よりパワーアップしてきたライバルに対抗するため、240Zは排気量を2498ccにアップ。出力も230馬力となった。だが、この年のモンテは例年にない大雪となり、FRの240Zには苦しい戦いとなった。結果は9位と18位という残念なもので、FRには不利とされるモンテカルロの常識を覆すことはできなかった。そしてこの年が240Zによるモンテカルロ挑戦の最後の年となった。

一方、「ラリーの日産」を強く印象付けたサファリラリーにも240Zは参戦している。71年、510ブルーバードの後を引き継ぐ形で参戦。見事に1-2フィニッシュを飾り、日産に2連覇をもたらした。エンジンは、ほぼモンテカルロと同じスペックで200馬力の最高出力を搾り出していた。

1972年、年を追うごとに高速化するこのラリーに対応するため、サファリ仕様のエンジンも215馬力にアップした。この年、モンテカルロで3位という好成績を収めた日産チームは3連覇を目指したものの、思わぬ所に落とし穴があった。マシンの性能が大幅にアップし、タイヤにかかる負担が大きくなっていたのだった。このため、各マシンにパンクが頻発し、アルトーネンの6位が240Zの最高位という不本意な結果となった。

翌1973年、日産チームはタイヤにも万全の対策を施す。エンジンも排気量を2498ccにアップし、最高出力を225馬力まで高め必勝を期した。結果は再び優勝を飾り王座を奪還。そして、この年をもって、240Zによるワークス参戦は終了した。73年秋のオイルショックにより、各自動車メーカーは排気対策に全力を注がねばならなかったからだ。

当時のラリーカーとしては大柄なボディサイズと重い車重、そして長いフロントノーズに直列6気筒エンジン。およそラリーを戦う上では不利な要素の多かった240Zだが、輝かしい戦跡を残した。フェアレディZは、販売面での成功のほかに、モータースポーツの世界でも常識を覆したクルマだった。

EXCAR > Car > 日産 > フェアレディ 240Z

EXCAR > Car > 日産 > フェアレディ 240Z

EXCAR - 日産・フェアレディ 240Z [日産/フェアレディ 240Z]

サイト内検索
Links
Online
10 人のユーザが現在オンラインです。 (9 人のユーザが Car を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 10

もっと...
Copyright © 2001 - 2016 EXCAR All Rights Reserved.